ルイ・イカールのご紹介
ルイ・イカールは1888年9月12日にスペイン国境にほど近い南フランスの古都、トゥルーズに生まれました。
裕福な銀行家の跡取りとして、不自由のない幼年時代を過ごしました。 イカールの絵は1920年、1930年代にアメリカで大変好まれました。
イカールは自分で銅板を彫り、エッチング(腐食法)で柔らかく繊細な線を出します。 また、そこに手彩で色を一枚一枚が原画のようなものです。
イカールは、当時、アバンギャルドであったフォーヴやキュビズムに背を向けて、ルーブル美術館などで18世紀のロココ絵画、ルネサンス期のヴェネツィア派などの古典絵画を研究していました。
初期の手法は、炎を思わせる赤と金色を多用しているため、「赤い手法」や「ゴールデンパレット」と呼ばれました。 モチーフは、妻のファーニー、ギリシャ神話のレダと白鳥、イタリアの風景などが主であり、1930年代に入ると、時代の落ち着きを反映してか、ゆっくり落ち着き、くつろいだ感じの成熟した女性を描くスタイルに変化していきました。
ルイ・イカールの略歴
1888年 | 南フランスの古都、トゥールーズに生まれる |
1905 | 芝居の世界に入る決心をして、パリへ出る。生活のため絵葉書工房に職を得、絵画の修行を積む。とりわけ銅版画制作の技術を学ぶ |
1908 | 「演劇批評(ラ・クリティク・テアトル)」の表紙をデザインし、これが好評となり、カタログの注文などが入るようになる。画家になろうと考え始めるのはこの頃 |
1912 | バルセロナで最初の個展を開く、これ以後イカールの作品はアメリカなどで人気を博していくこととなる。 |
1914 | エリゼ宮で行われたパリ・オペラ・バレー劇団による特別講演の衣装デザインを担当 |
1927 | レジオン・ドヌール第5勲章を受ける。 |
1944 | パリ解放とともに版画制作を再開する |
1944 | モンマルトルの自宅で死去。享年62歳 |
版画
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